「旧枝梅酒造」は
旧佐賀城下に残る唯一の酒蔵です
旧長崎街道に面した場所には
母屋があり、その東側には
精米所に倉庫がありました
その北側には
麹室・仕込み作業場・搾り作業場
それに酵母室・研究室
そして東・北・西の三棟の
酒蔵が現存しています
「旧枝梅酒造」
の歴史は
【佐嘉城下町竃帳】によると
1854年(嘉永七年)
八戸宿新宿で
足軽身分の下村家が
造り酒屋を始めたとあります
その当時
八戸宿はその近くに
築地反射炉・多布施反射炉があり
今でいう重工業地帯の
周辺だったと考えられます
幕府や他藩から
大量の大砲の注文を受け
両工場は最盛期に入った頃であり
ここの周辺には
工場で働く人
物品を納入する人
運搬に関わる人
など多くの人たちが
集まっていたと考えられます
当然
酒の重要が高まり
下村家はこの場所で
造り酒屋を始めた
と思われます
これが旧枝梅酒造の
造り酒屋としての
スタートでしょう
1887年(明治二十年)頃
現在の塚原家が下村家から
事業と屋敷を買い取り
「塚原酒造場」としました
1907年(明治四十年)頃
佐賀市久保田で
元禄元年(1688)から
造り酒屋を営んでいた
「窓乃梅酒造」の
古賀家三男・古賀虎三郎が
塚原家と「塚原酒造場」を
相続しました
しかし
虎三郎が急逝したため
古賀家の四男・喜六が
塚原家を相続し
窓乃梅分家「枝梅酒造場」を
創業しました
窓乃梅の分家
これが
「枝梅」の由来です
その後
明治、大正、昭和と
塚原家による操業は続きました
昭和の終わり頃
醸造の操業は終わりをむかえ
旧長崎街道に面した
店舗で酒類の販売を
するだけとなったようです
だが
老朽化が始まった
造り酒屋の建物を壊すことはなく
守り続けられました
2009年(平成21年)
四代目・塚原喜一郎氏の
急逝によって
「枝梅酒造」の建物は
すべての役割を終えました
それから
江戸時代から続いた造り酒屋の
形をほとんど残したまま
旧佐賀城下に残る
唯一の造り酒屋跡として
手付かずのまま残りました
この場所は
長崎街道に面しており
佐賀城下長崎街道の
「のこぎり型家並み」として
特徴的な場所です
さらに時は過ぎ
役目を終えた旧枝梅酒造の
建物は急速に老朽化が
進行しました
しかし
事業の後継者もなく
所有者として残された
塚原家も
その規模の大きさから
どうしようもないまま
さらに時は
過ぎて行きました
ただ
残された建物を壊すことは
されませんでした
2011年
地元の八戸町自治会が
その場所と建物の
重要さを認識し
保存活動を始められました
2014年
「さが長崎街道まちづくり実行委員会」が
鍋島直正公生誕百五十年記念事業を
枝梅酒造で開催しました
そこには
二日間累計500名以上の
人々が集まった
鍋島家15代目も駆けつけられました
また
旧枝梅酒造の
保存を目指して
「枝梅プロジェクト」を立ち上げ
保存活動が始まりました
だが
保存のメドも立たないまま
プロジェクトは終焉し
時が過ぎていきました
2015年
佐賀市は
長崎街道に面した
母屋・精米所と倉庫だけを
買収しました
そして
リニューアルすることを
決定しました
2016年
佐賀市が買収した部分の
テナントに
「株式会社とっぺん」が
決定しました
そして
残された酒蔵部分を
どのように残すか・・
それまで保存活動に
関係した者たちが
所有者と協議を
重ねました
2017年、晩秋
旧枝梅酒造を保存するため
「NPO法人まちの根太」
が設立しました
2017年、冬
旧枝梅酒造の所有者である
枝梅酒造株式会社(事業停止中)は
「NPO法人まちの根太」に
残された三棟と所有する土地の
管理を委託しました
2018年、1月
「NPO法人まちの根太」は
旧枝梅酒造の西の蔵に
事務所を設置しました
そして
「NPO法人まちの根太」は
リニューアル工事が始まる
佐賀市部分の
母屋・精米所・倉庫内の
片付け作業を開始しました
同時に
そこに残されていた
貴重なものを収納するため
西の蔵内に収蔵庫を
設置しました
2018年、2月
佐賀市部分の
リニューアル工事が
始まりました
2018年、11月
佐賀市のリニューアル工事が
終了しました
母屋はテナントに賃貸
精米所は解体して公共トイレに
隣の倉庫は休憩所となりました
2018年、11月
母屋のテナントとして
株式会社とっぺん
が料理店と提携して
酒の蔵えん
をオープンしました
2019年、1月
「NPO法人まちの根太」は
佐賀市の助成金と
西の蔵を長期貸し出した賃料と
多くの支援者からの寄付金と
クラウドファンディングの資金によって
東の蔵の改修工事に着手しました
2019年、3月
東の蔵の改修工事が終了しました
当初は
東の蔵をコンサートホールに!
とスタートした工事でしたが
資金不足により
屋根と壁の修理に限定されました
それでも
今にも崩れ落ちそうだった東の蔵が
あと50年は大丈夫と
大工さんから太鼓判をもらいました
東の蔵の工事は
これで終わりではありません
当初の目的通り
コンサートホールを目指しました
2019年4月〜10月
本来は、老朽化が進む北の蔵の修理工事に
入らないといけなかったのですが
東の蔵の工事で資金使いあてがなくなってしまったので
少しでも収入を得られそうな東の蔵の活用に向けて
ボランティアに助けられながら整備しました
2019年11月〜
すぐに東の蔵で
コンサートや展覧会・劇団公演などの
利用が始まりました
2020年5月
西の蔵にシェアアトリエを
開設しました
しかし・・
ちょうどその頃からパンデミックが始まりました
東の蔵も閉鎖状態となりました
2022年(令和4)
西の蔵にギャラリーNOMAを
開設しました
2023年5月
作業場として使っていた場所に
新しいギャラリー
NOMA+を
開設しました
2024年7月
北の蔵は
修理の目処が立たないまま時間だけが過ぎていました
その時間の間に老朽化は進行し
屋根が抜け始めていました
そしてついにオーナーさんと協議の上
解体しました
2024年11月
旧枝梅酒造からEDAUMEとなり
残った2棟の酒蔵とそれに付随する建物を
維持しながら
アートスペースとして展開していきます
※2022年現在、旧長崎街道に面した1/3の部分(青色部分)は佐賀市役所の管理地です。
残りの部分(赤色の部分)は民間の所有地でNPO法人まちの根太が管理しています。